2019年11月27日 元日本ハムの新庄剛志さんが日本野球機構(NPB)から自由契約選手として公示されました。
06年に現役を引退して、任意引退選手として同年12月1日に公示されていたが、新庄氏の希望を受けて日本ハムからの申請があり、自由契約選手に切り替わった。
任意引退選手なら、選手として復帰する場合は最終所属球団に復帰するか、他球団に移る場合は最終所属球団の承諾が必要となるが、ルール的にもフリーの立場となる。新庄氏は自身のツイッターで「今日付で自由契約になったばい!」とコメントした。
申請を行った日本ハムの吉村GMは「ファイターズに獲得する意思がないので現役復帰するならと手続き通りにしました。
(話があったのは)結構、最近です。ウチはないわけだから、他球団のところでチャンスがあるなら自由契約にすべきと。過去の成績を含めて、尊敬しています」と説明した。
引用元: 日刊スポーツ
なんと、ダルビッシュさんとプロ野球再挑戦の話もしていました。
新庄さんとのやばいエピソードやプロ野球再挑戦に関する考えなどを話した。
いつも通りボツなし、内容100点、広告自由にブチ込める10分超え。
完璧やった。
近々公開予定。観れ。— ダルビッシュ有(Yu Darvish) (@faridyu) 2019年11月20日
そして
今日付で自由契約になったばい!#新庄剛志 #現役復帰 #楽しんじょうhttps://t.co/B2N92i0APm
— 新庄 剛志 (@TsuyoshiShinjo) 2019年11月27日
新庄劇場はまだ続いていた!
新庄剛志さんと言えばやはり『新庄劇場』ですね。
と、その前に
新庄剛志さんの戦歴を振り返ってみましょう!
1990年 阪神タイガースにプロ入り
1991年 1軍昇格 9月10日 代打で初出場初打席初安打初打点
その後は亀山選手と『亀新フィーバー』
21歳8ヶ月で先発4番打者は球団最年少記録。
そして、ベストナイン・ゴールデングラブ受賞。
ここからついに『新庄劇場』開幕
1995年オフの11月19日、契約更改交渉後の会見で突然「野球に対するセンスがないって見切った」と現役引退宣言。
しかし、セリーグ会長等から説得され病気の父親を勇気づけるのはユニフォーム姿を見てもらうのが一番との理由で現役続行。
ほんと、よく分かりません。
その後、1イニング2満塁ホームランという途轍もない記録を達成しています。
なんと、野村監督と投手と外野手の二刀流も練習していましたが膝の故障で断念しています。
1999年6月12日、巨人との首位攻防戦(甲子園)12回裏同点一死1.3塁の場面で敬遠球をサヨナラ安打しています。
な、なんと狙っていたとは!
2000年にはMLB ニューヨークメッツに5年12億円で移籍し4番も打っていました。
その後サンフランシスコ ジャイアンツに移籍、ワールドシリーズに出場し初安打も記録しています。
3年間のMLB活躍後、日本ハムに電撃入団。
そして、オールスター予告MVP宣言しオールスター初ホームスチールを決めて予告達成しています。
開幕直後の2006年4月18日 ソロホームラン後『28年間思う存分野球を楽しんだぜ、今年でユニフォームを脱ぎます打法』と発表し現役引退発表とされた。
ここでここまでやるかと言う動画です。
まとめ
ここのところ、盛り上がりはラグビーに負けているようでしたがここで新庄剛志さんがプロ野球に復帰できれば盛り上がり間違い無しなので管理人としてはぜひ、復帰を熱望するしだいです。
がんばれ!宇宙人!!
最後までお読みくださりありがとうございました。
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