2019年12月21日 元日本代表DF 田中マルクス闘莉王が現役引退発表しました。
2010年南アフリカW杯で日本代表の16強躍進の原動力となったDF田中マルクス闘莉王(38=京都)が1日、都内のホテルで現役引退会見を開いた。
ブラジル出身ながら渋谷幕張高に入学し、01年に広島でプロ生活をスタート。03年にJ2水戸在籍時に日本国籍を取得し、04年からは浦和に完全移籍して主力として活躍。
06年のリーグ優勝や翌年のアジア制覇をけん引した。10年には名古屋で移籍1年目でリーグ制覇を果たすなど、攻撃的なセンターバックとしてJ屈指の人気者だった。
そんな闘莉王は「少しでも炎が消えかかりそうになったら引退しようと。去年の終わりごろにそれを感じて、引退しないといけないなと」と説明。
時折、涙を浮かべなら19年間の現役生活を振り返ったが、力を込めたのが今後の日本サッカー界への言葉だ。
22年カタールW杯を目指してアジア予選を戦っている日本代表へ「まだベテランの力は必要。引っ張ってほしいし、背中で見せてくれるのを期待している」。
森保ジャパンは11月のベネズエラ戦で1―4の大敗を喫するなどチーム再建が急務となっており、ともに南アフリカW杯を戦ったDF長友佑都(33=ガラタサライ)やGK川島永嗣(36=ストラスブール)らベテラン勢に奮起を促した。
さらに「今は本当にきれいなサッカーばっかり。やっぱり泥臭く、多少技術が優れなくても僕みたいに一生懸命やって、サポーターに喜ばれる姿勢をなくしてほしくない。
そういう気持ちを伝えられる選手が消えてほしくない」と、闘志あふれるプレースタイルでファンを魅了した自身のような闘将タイプの絶滅を危惧し“後継者”となる存在が現れることを待望した。
引用元:東スポWeb
田中マルクス闘莉王
ここでは、闘莉王の活躍にフォーカスします。
まずは記録から
- プロ初出場・初得点 – 2001年3月11日 J1 1st第1節 鹿島アントラーズ戦(国立競技場)
- ハットトリック達成 – 2008年7月17日 J1第17節 東京ヴェルディ戦(埼玉スタジアム2002)
- J1通算50得点達成 – 2011年11月26日 J1第33節 モンテディオ山形戦(豊田スタジアム) ※DFとして歴代初ハットトリック達成 – 2012年8月4日
- J1第20節 ヴィッセル神戸戦(名古屋市瑞穂公園陸上競技場)
- J1通算300試合出場 – 2012年12月1日 J1第34節 浦和レッズ戦(埼玉スタジアム2002)
代表歴
主な出場大会
- 2004年 – アテネオリンピック
- 2010年 – 2010 FIFAワールドカップ
試合数
- 国際Aマッチ 43試合 8得点(2006年 -2010年)(先発出場試合数 43)
- A代表初出場 – 2006年8月9日 キリンチャレンジカップ トリニダード・トバゴ戦(国立競技場)
- A代表初得点 – 2006年11月15日 AFCアジアカップ2007 (予選) サウジアラビア戦(札幌ドーム)
個人
- 日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー): 1回(2006年)
- Jリーグ最優秀選手賞 (MVP): 1回(2006年)
- Jリーグ優秀選手賞: 9回(2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年)
- Jリーグベストイレブン: 9回(2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年)
- 報知プロスポーツ大賞 Jリーグ部門(2007年)
- 国民体育大会 優秀選手: 2回(1998年、1999年)- 高校時代
- 千葉県知事特別賞(2010年)- W杯での功績により
参照:wikipedia
DFで国際Aマッチで8得点はとても凄いですね。
リーグ戦での得点は2001年〜2019年の間でなんと122点。
しかも、ハットトリックまであります。
超攻撃的DFですね。
復帰試合でのハットトリック達成映像です。
そして驚異の5人抜きドリブル〜!FWでもなかなか出来無いですよね。
まとめ
やはり、闘莉王と言えば『熱い男』
闘将
本当にお疲れ様でした。
いつかその闘志を日本代表に吹き込んで欲しいですね。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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